アラビアンナイトの世界イエメン旅行記・前編(サナア、2007年)

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2007年4月にイエメンを旅行したときの旅行記です。今読むと文体が恥ずかしいですが、治安が悪化して近年では旅行が難しくなっていますので、旅行気分だけでも味わっていただければ。前編、後編に分けて公開します。

なお、2007年にはサナアの治安は悪くはありませんでしたが、現在はかなり悪化しているようです。現在のイエメンの治安については、外務省のホームページをご覧下さい

1. イエメンへの憧憬

サナア旧市街の夜

はるか昔、古代ギリシャ、古代ローマの時代。アラビア半島の下方に位置するイエメンはヨーロッパと東アジアを結ぶ交易の中心地だった。「海のシルクロード」のインド洋につながる陸上ルートの最後の部分だ。

約1400年にわたってシバ王国の下で、中継貿易地として栄えたイエメンは、「幸福のアラビア(Arabia a Felix)」として知られる。そう呼ばれた理由の一つに砂漠が半島を支配し、荒涼としたイメージがあるアラビア半島の中でも、自然が豊かであることも挙げられるだろう。シバ王国の繁栄に翳りが見えはじめてから、イエメンは歴史から姿を消していった。私たちが「イエメン」のことを何も知らないのは、そういうところにある。今現在のイエメンには、他のアラブ諸国のように豪華絢爛さはないが、アラブの伝統が生きている。人が住み続ける最古の都市、世界遺産なのだ。何百年も前に立てられた建造物や、人々の出で立ちがマイナーながらも旅行者をひきつける。

私自身も、旧市街サナアの写真を見て、「一度は行ってみなくては」と感じ、行動に移した(恐らく)数少ない女性旅行者のうちの1人である。

2. 旅立ちの朝

エミレーツ航空

未知の世界へと旅立つ不安と期待で、出発日は予定より1時間も早く目覚めた。残っていたパッキングをすませると、今回の出発地点・名古屋へと向かう。東京から鈍行で行こうかとも考えたが、体力温存のため、新幹線を使うことにした。新幹線はものすごくはやく名古屋へ連れて行ってくれて、眠る暇も与えてくれなかった。今回は心強い同行者(元カレ)がいたため、飛行機の待ち時間、飛行中の機内食なんかも楽しめた。1人ならではの人との出会いは減るかもしれないが、2人だとどんな場面でも不安にならず楽しめるのはいい。

乗り継ぎ地点のドバイは、3年前にきたときよりも空港が拡張されていて、空恐ろしい感じだった。ターミナルは巨大な鯨が横たわっているかのようで、その横を着陸した飛行機が永延とのろのろ走る。ターミナル不足なのだ。空港内は相変わらず、1000万円の車があたるくじだとか、毎日がお祭り騒ぎな雰囲気だ。アジアからアラビア、インド、欧州系と、ものすごい勢いで人種がミックスされていく。全身黒のアバヤで歩く人もいれば、タンクトップにショートパンツであるく人もいる。肌の色もさまざまで、自分がどこにいるのか、自分は何者なのか一瞬にして迷い込んでしまうから不思議だ。

ドバイについては帰りに楽しむ時間が半日ほどあるので、さらっと見て、早めにサナア便搭乗口へ。待合所に入ると、もう、そこはイエメンだった。ターバンを巻き、あごひげをたっぷりたくわえ、巻きスカートであぐらをかくおじさん達……雑誌で見たイエメン人そのものだった。ないのはジャンビーアと呼ばれる腰にさす短剣だけだ。中にはアラビアのモデル!?らしきイケメンが居たのも見逃さなかったが……。搭乗がはじまると、緊張しつつも、まだ見ぬ地に思いを馳せずにはいられなかった。

ドバイからサナアまでは約3時間のフライトで着いてしまう。機内食を食べて人寝入りすればあっという間だ。窓際の席に座れなかったから、なおさらすることがない。機内で歓声が上がり、つられて外を見るとグランドキャニオンのような絶景が広がっていた。

3. 到着の衝撃

サナア ミナレット

サナア空港から旧市街への移動

本当にあっという間に着いてしまったイエメンの国際空港は、久しぶりに驚きを隠せない小ささだった。世界一の空港ドバイから来たということもある。しかし、あまりにもこぢんまりとしたイミグレにちょっと不安を覚えたのも確かだ(トイレとか汚いんだろうなとか)。まずは、エントリービザをとらなければならないのだが、英語での案内看板などもみあたらず、3つあった列のうちの1つの列に並ぶ。待ちに待った挙句、案の定、ビザありの人の列だったと知ったとき、隣のビザ申請待ちの長蛇の列を見たときは本当にガックリきたものだ。しかし、そこはイエメン。おじさんが「俺が連れてってやる」と言い出し、なんといともあっさりと割り込みに成功したのだった。列とか秩序だったものに捉われないことに、楽しくもあるのだけれど少し納得できないはがゆさが残るのはやはり日本人だからだろう。背中に刺さる視線が痛かった……。

無事入国を果たし、ひとまずは市街地へ向かうバスを探す。しかし、バスはないと言われ、間違えてアフリカ人の旅行客が集まったバスに乗ってしまったり、炎天下の中を歩き回るうちに、バスを探す気力もなくなった。タクシーを比較的安めの値段でつかまえると、心躍る気持ちをおさえて乗り込む。

イエメン 運転手ドライバーは、カーキ系の巻きスカートに皮ベルトを巻き、短剣(ジャンビーア)をさしていた。典型的なイエメンファッションだ。もちろん、頭にはターバン。白地に赤い刺繍の大判で、なんとなく巻いた感じがこなれていてなかなかオシャレだ。アラビアン・ナイトそのままの格好の人がいるとは聞いていたが、実際に何のイベントでもなく、日常の中で普通に着こなしている様子は、私たちを一気にイエメンに惹きこんでいったと思う。さっそくのジャンビーアの登場に面食らう時間もなく、タクシーはどんどん市街地へ。通りを走る車と信号渋滞、充満した黒い排気ガスと鼻を突くそのにおいは、アジアを思い出させた。アジアの熱気とはまた異質で、もっと極地的なものだったけれど。知られざる世界、ロストワールドに迷い込んだ感じだった。降りた場所は、サナアの交通の拠点であろう場所だった。その時点では、よく写真で見る旧市街の建築は見えず、どこかのアジアの街にターバンを巻き、ジャンビーアぶらさげたイエメン人がうろついているイメージだろうか?

初めて行くところは、一度地図を見ながら歩いてみない限り、場所も、位置関係も何もわからない。不安と何も背負うものがない心地よさを味わいつつも、とにかく、旧市街を目指すことにし、地図を片手に歩き出す。歩き出すと急に世界も回りだし、すれ違う人、街の喧騒、日差しが急に生き生きと見えてくる。幸運にも、空は快晴、標高が高いせいもあってか、長袖でいてもそこまで暑くない。

衝撃のアラビアン・ナイト

おそらく国で一番交通量の多い道路沿いの商店街を眺めながら歩く。ふと右に曲がると急に視界が開け、視覚を通して脳にガーンと衝撃がきた。そこで見た景色と、そのとき体に走った電流の感じは忘れられない。道路の両端にはきっと千何年も前から行き続けてきた建物があり、その上に力強く、真っ青な空が広がっていた。建物は全体的に茶色っぽく、窓などのまわりが白い色になっており、かわいいアクセントとなっている。色が派手なわけでも、デザインが奇抜なわけでもない。それでも圧倒的な存在感があり、私はあまりの衝撃に後ろに倒れそうになった。同行者も同じ気持ちだったらしい。しばらく無言が続いたあと、「来てよかった」とポツリと言った。

私たちが衝撃を受けたところは、実は大して見所というわけではなかった。少し進むと、城壁が見えてきて、その向こうに、イエメン建築がずらりと並んでいた。イエメン建築はレンガを積み上げて作られる。鉄骨が使われていないのと、てづくり、ということもあり、ちょっとぼこぼこ感があって愛らしい。そして、窓の部分には “カマリア窓” と呼ばれるステンドグラス。そのカマリア窓をレンガと接合している白い漆喰(白い部分)のデザインが建物のアクセントとなっており、そういった建物がいくつも並ぶとかなり壮観なのだ。それが、1800年前からずっと建っているとなれば、なおさらだ。

その長い時の流れを想像するだけでも、倒れそうになる。それなのに、その架空であってもおかしくない建物が実在して、目の前にあるのだ。さらに、そこに今も人が住んでいる。子供が世界遺産の中を思いっきりかけまわっている。アバヤという衣装を身にまとった全身黒づくめの女性が買い物をしている。アラビアン・ナイトさながらの男性が雑談を交わしている。

4. 街への冒険

サナア 商店

サナアのホテル

サナア一泊目は、イエメン建築で、夜景が見られる高い建物、ステンドグラスに照らされて目覚められる場所、ということで、旧市街の中にある『タージ・タルハ』と決めていた。2人部屋で1人15$くらい。部屋は屋上よりも一つ下の階で、段差の大きい階段をぐるぐると上がっていかねばならなかった。重い荷物を背負ったままで、5階までの道のりはとても長く、一瞬この宿に決めたことを後悔したが、部屋からの眺めは爽快だった。思っていたより高い場所におり、イエメン建築の数々が眼下に広がり、遠くには岩山がそびえたっているのが見えた。

荷物を置くと、さっそく旧市街へと、長い階段を下る。下の階に行けば行くほど階段に光がなくなるため、すり足で階段を下らねばならなかった。階段の途中では階段が枝分かれして、中2階くらいの高さの小さなドアへつながっているところもあった。フロントでツアーの紹介を聞いたり、旅行者の人と一通り話したあと、いよいよ街へと繰り出す。

迷路のようなサナア旧市街

旧市街は迷路のようになっており、地図を見ても、どの方向を向いているのか、どう行けば旧市街の入り口“バーバルヤマン(イエメン門)”に着くのか、まったくわからない。幸か不幸か、“タージ・タルハ”ホテルは旧市街の端っこに位置し、入り口までは相当な距離があった。とにかく、歩き出さないことには始まらない。感動が覚めやらぬまま、軽くなった体で感覚に任せて路地を進む。狭い路地を、日本からはいてきたスニーカーで踏みしめるたびに、どんどんとイエメンの世界へ溶け込んで行く。この感覚がたまらなく好きだ。何も背負っていなくて、透明で、何色にも染まることができる瞬間。

少し進むと、両端の建物で覆われていた視界が開け、広場に行き当たる。広場からは左に一つ、右に一つ、正面に一つそれぞれ道が伸びていて、上り坂だったり、平坦な道だったりする。一番左の道には簡易食堂があり、熱気が店からもくもくと出ていた。店先で肉を焼き、それにパンをつけて出すというシンプルな食堂だ。こういう人の営みを見ると“生活”の感覚がどっと入ってくる。まずは、一食、といきたいところだったが、機内食を立て続けに食べたおかげで、おなかが減っていなかったので、歩を先へ進める。狭い下り坂を下っていくと、道の両端にお店が見え始めた。

キィンという音に、石造りの建物を薄暗い室内を覗くと、金属を削る男たち。そう、ジャンビーア職人だった。よく周りを見渡せば、家屋の道に接する正面には、一面に重厚なジャンビーアが並べられていた。いきなりのジャンビーア祭りに驚く暇もなく、さまざまなお店が私の驚きを誘う。金ぴかのシーシャ(水タバコ)ばかりが並ぶ金物屋、室内で油をひくラクダ……徐々に喧騒も大きくなったかと思うと、大きな通りにぶちあたった。旧に静かだった世界がせわしく動き始め、パッキリとした日差しの下で、足の裏と後頭部に押さえきれない興奮を感じる。道の両端には所狭しとお店が立ち並ぶ。日用雑貨、きらびやかな女性の洋服、女性が顔や体のラインを隠すためのアバヤ(黒のロングコート)、お茶屋……。中にはを路上に敷物を敷き、スパイスや木の実、古着を売る店もある。多くのアラビアンナイトさながらのイエメン人が行きかい、日常を過ごしている。

何よりも目に付くのは、女性の衣装だった。たとえばラテンダンスの衣装のように体のラインがはっきりわかるドレスだったり、スリットが入ったスパンコールがまぶしいドレスなんかもある。けっして外では素顔を拝むことができない女性達も、家ではこのような洋服を着ているのだと思うとなんだか滑稽だ。イエメンの女の人との間には、厚い壁を感じていたが、一気に親しみを持てるようになった。女だけの世界で、セクシーな衣装に身を包み、美を競い合ったり、噂話に興じていることだろう。もちろん、家族や料理や恋愛の話も。女の人はみんな黒づくめの衣装なので、外国人からはその人の個性というものは認識しづらい。でも、きっと個性も豊富なのだろう。おしゃべりな女の子、おとなしい子、リーダー格の子、とか。きらびやかな衣装を見ながら、女子特有の社会を思い出し、ほほえましく思えた。どこの世界だって、華やかなものに憧れるのが女の子なのだ。実際服を見ていると、結構かわいいので本当に買ってみようか、などと思案にふけってみたのだが、よく見るとすべてMade in Chinaだった。店先には中国語が書かれたダンボールの山。世界の工場はこんな僻地にまで輸出しているのだ。イエメン人が買うくらいなのだから、中国広しとは言えども、原価はどれだけ安いんだろう、と本当に不思議になる。

5. 黒づくめ体験

アバヤの購入方法

郷に入れば郷に従え、ということで例に漏れず、私もイエメン人女性のように全身黒づくめになるべく「アバヤ」に身を包んでみることにした。旅行先のコスプレは往々にして楽しいものだが、戒律が厳しいイスラム圏においては、現地のルールに従うのは自分を守る手段でもある。派手な洋服はたくさんある割りに、その通りにはアバヤを扱うお店は一軒しか見当たらなかった。まだ相場がわからなくて値切れない上に、どんな商品があるのかわからないため、一軒めで購入するのはあまりよくない。そうは言っても、押しの強い店長と、店先に出来た人垣に囲まれて、優柔不断な私はやはり買ってしまったのだった。

アバヤはただ真っ黒、というわけではなく、細部まで目を向けてみると刺繍が施されてあったり、ボタンがこっていたり、ファスナー式だったり、さまざまなデザインがある。もちろん素材も異なる。セクハラ店長に体を触られながらもいくつか試着をする(さりげないが、かなり露骨で外国人女性軽視の感じがする)。小さなデザインの違いだからこそ、どれにしようか余計に悩むのだ。試着をしていると、あっという間に店の入り口に人だかりができ(当然だが男ばかりで少し怖い)、買わずには帰れない雰囲気が出てきた。他の店をまわって、相場を調べ、値切るのが一番正当な方法だが、視線を避けるために一刻も早くアバヤを着て、街に溶け込みたかった。このセクハラ親父のお店で買うことを決め、交渉に入る。

イエメン人は、どうやらそこまで値段を上乗せしてくることはないらしいことはなんとなくわかっていた。みんな嘘をつけない人たちなのだ。インドのように嘘に嘘を重ねることなど、彼らにはできない(多分)。それでも、とりあえず、半額から言ってみる。意外と難色を示され、それがアラビア商人ならではの話術なのか、やはりあまり高く乗せてきていないだけなのか、判断しかねる。少し高いなと思ったが、よく相場がわからないこともあり、やり取りに疲れ、適当なところで、手を打った。

アバヤは体全体をすっぽりとゆるく包み込み、その感覚は、妙にほっとさせた。家の中でジャージでいる感じに似ている。外にいながら、誰にも見られていない、アバヤの下にどんな変な格好をしていてもわからない、気楽さ。美に気を遣うイエメン人女性は、もしかしたらすごい勝負服を着ているのかもしれないけれど、私は寝巻き同然の格好で、日中何も気にせず、歩けたわけだ。

6. サナアの幻想

バーバルヤマン

バーバルヤマン

肩の力も抜けたところで、バーバルヤマンめがけて、更に迷路の奥に足をふみだす。しばらくにぎやかな商店街が続き、人通りが多くなり、空気がなんとなく変わった感じがしたとき、目の前の視界が開けて、大きな門と、広場が見えた。ずっとそこに立ち、サナアを見守ってきたあまりの貫禄に、圧倒され、すぅっと吸い込んだ空気さえ、今まで生きてきた世界のものとは思えなかった。門の前は、メインロードが1本、左右に3段ほどの階段があり、そこに座って雑談する者あり、シャイをすする者のあり、ジャケットを20枚近く着込み、売る者あり……。その茶色く、開けた空間は、隔絶され、そこだけで完結しているように思えた。

歴史、人々の営み、熱気、誇りが凝縮されたバーバルヤマン前のシャイ屋でお茶をしていると、皺が実に精巧に織り込まれた顔のおじいちゃんから、働き盛りのおじちゃん、5歳くらいの坊ちゃん、と次々にお店にやってきては、昼下がりのお茶を楽しみ始めた。中には、ツアーに参加しないかと話しかけてくる輩もいたが、異国からの観光客に興味を示しつつも、穏やかに見守られている感じがした。

サナアの夜と朝

陽が暮れ、濃紺の闇がサナアを包むと、幻想的な夜が訪れる。イエメン建築のステンドグラスから、温かい光がこぼれだし、街路の豆電球がわずかな闇の隙間に光をしのばせる。その穏やかでささやかな光の煌きは、とても美しかった。宿泊した宿は、5階建てで、街全体を見渡すことができた。風に乗って、夜と旧市街の喧騒が混ざったにおいが届く。

朝6時、遠くから聞こえてくるアザーンの音に、ふと目を開けると、色彩の湖の中にいた。赤、緑、青……透き通った光は、白い壁にあたり、ゆらゆら揺れている。ステンドグラスを通して注ぐ、異国の太陽光は、私に短い夢を見させてくれた。世界が一番輝くときは、朝だ、と思わせるに十分な、心地よい、目覚めだった。

イエメン ステンドグラス

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